けふ

先日、高校の友達と遊んでたとき、袋を渡されて「ほら、誕生日プレゼント」といって誕プレをいただきました。中身はハルヒの団長ワッペン?とマグカップとすこし苦笑した中身でしたが、大変ありがたく感じました。
今日は8月は27の日、自分は生まれて16年が経過しました。なんかもう16歳か…って感じです。
幼稚園生の時、子供心に一回真剣に自分は大人にならないだろう。なってもまだまだ先!こんな時間がまだまだ、もしかしたら死ぬまで続くんじゃないか。なんて思ったことがあります。マジで、大真面目でこのことを考えてて、親に話したら、よってたかって親族一緒になってゲラゲラ笑われました。そのときは恥ずかしさより怒りってのが強かYったですかね。たしかそれで親たたいてベランダにほりだされたましたっけねぇ?
時に、自分はそんな遠い未来の一歩手前なワケですが、いまだ「大人はまだ少し未来」ていどに思っています。…とことん甘いですね。
もう俗に大人と言われる20歳はもうすぐそこの手前にあります。自分が「やりたい!やりたい!!」とキーの抜いてある車のハンドル握って遊んでたのも、もういまから2年したら合法的に可能になります。実際キーを挿してエンジン吹かしてアクセル踏むことがホントのホントにできるんです。中坊ん時やってあんだけこっぴどくしかられた酒やタバコだってもう、すぐそこ。
なんだかそう思うとやはり、昔に対して未練がたらたらです。前はケーキに立ててた年齢分のろうそくを「ふー」するのが楽しかったもんですが、いまじゃふーするろうそくどころかケーキ自体ないんですから。
いっつもどっかに行って、最後あたりに徹夜しながら宿題してた夏休みなんていう超破格大型連休もいずれなくなっちゃうんですから。
子供の時の特権が少しずつすこしずつ、自分から剥奪されて、これからいずれ、ホントに遠くない未来に、社会という国を支えるに絶対的に必要な土台の小さな小さな柱に自分はなる。ならねばならない。そんでもっていい年で結婚して、定年まで神経すり減らして働いて、後は悠々自適な縁側マンセーの老後生活を送りながらナッパも太鼓判を押してた地球の良い土壌で栽培マンを育てて従えて私は立派な老獪Z戦士。いずれモンスターボールで虫取り少年に捕獲されてもキャタピーには絶対負けない。なんて友達と話してた冗談交じりの話もなってみたら10年20年、ひいては50年位ホントなってしまえばすぐなのかもしれない。

そんなこと自分は嫌だ。なったら終わりなんか絶対嫌だ。なりたくない。せめて自分の力でZ戦士に入団したい

じゃぁ、どうしたいのか?どうすればいいのか?
あってはならないだろうがもし、仮に、リセットボタンが存在して、昔の戻ったら、自分はどうしたいのか?何がしたいのか?
どうせいずれは必ず、子供、青年、大人、中年、老人のルートを通る。避けれない、絶対回避不能
それは自分だけじゃなく、万人にふりかかる。確実に、例外などもちろんなく。
そんな中、仮に過去に帰れると万人は、自分はどうするのか。

分からんが絶対なにか積み立てるようなアクションをするだろう。何かはわからんが。

どぅするか正解、どうしたら当たりなんていうもんはないけど。せめてこれから日常を改めよう。どう改めるとか分らんけど。この16歳の誕生日が転機となり、何になるか分らない未来の少しは成長要素となりえたらな…。なんてかっこつけて思う。さて、これからなにしよっかな。




これ、あとあと読み返してみるとすっごい恥ずかしい…